ナチ・ドイツに勝利した,赤軍の「神話」の裏に潜む,悪夢のような実態とは?三千万人の兵士の物語.手紙,日記,回想,退役軍人への聴き取り取材によって肉声を再現し,「戦争の真実」を暴いた画期的な労作.年表,写真多数収録――. |
第二次世界大戦中のソ連軍兵士の生活を痛切に描いた本書は,軍事戦略や政治的策略よりも,"イワン"と総称される赤軍兵たちの個人的体験に焦点を当て,独ソ戦を中心に多くの証言を得ながらまとめている.主観的なナラティヴは,1941年のナチスドイツによるバルバロッサ作戦から,レニングラードやスターリングラードといった都市の悲惨な包囲,最終的なベルリンへの進攻など,戦争の主要な局面を時系列に沿って描きつつ,東部戦線の非人間性を物語るものだ.本書は,従軍兵士の手紙や日記,生き残った退役軍人のインタビューを通じて,個人的な逸話をより広範な歴史的分析に結びつけている.これにより,兵士たちが直面した残酷な現実だけでなく,ソ連兵が耐えた過酷な状況――厳しい寒さや飢え,絶え間ない死の恐怖――日々の苦闘を描写している.
兵士は多種多様だった.一人ひとり違うイワンがいた.しかし,願いは一つだった.独裁を倒すために戦った揚げ句に,それを上回る独裁が残る結果は本意ではなかった.スターリン主義の台頭を認め,体制を守るために自ら戦い,辛酸をくぐり抜けた人々が,戦後も暴君の君臨を容認した.不幸なことだ.祖国は隷属を免れたが,自らを奴隷化したのだった
本書は,赤軍に対する政治的教化とスターリン主義イデオロギーの広範な影響についても複雑な理解を示している.イデオロギーは,兵士たちの士気と精神に大きな打撃を与えたが,しばしばプロパガンダによって強化されたソ連の大義に対する信念が,彼らの持久力と最終的な勝利に決定的な役割を果たした.また,ソ連軍がドイツに進攻する際に行った残虐行為とその心理的影響についても探求しており,多くの兵士が戦争が終わった後もその体験に悩まされ続けたことが明らかになる.ソ連兵の体験の本質をとらえることに成功し,東部戦線の人間的側面に光を当てた本書は,戦った人々の記憶を称えるだけでなく,戦時下のソ連を批判的に検証する."イワン"は「近代で最も苛烈な体制の犠牲者」とされ,ドイツに攻め込まれながら祖国を守るために死闘を繰り広げた.
赤軍兵たちは何を見て,何を得たのか.その背景には1918年の革命から21年間,共産主義国として歩んできたソ連がドイツファシズムに対峙するという歴史がある.資本主義は罪悪だと教えられてきたソ連兵たちは,初めて見るポーランドの豊かさに驚愕し,その生活との違いにショックを受けた.捕虜となり解放された元兵士たちは,祖国に戻るとスパイとして処刑されるか収容所送りとなり,強制労働に連行された.ヨシフ・スターリン(Ио́сиф Виссарио́нович Ста́лин)は「自発的無償労働」を強制し,過酷な生活を兵士たちに強いたのである.赤軍兵士は,多様な民族と文化的背景を持つ集合体であり,その経験と価値観も多岐にわたっていた.彼らは資本主義国への侵攻から始まり,同じ言葉を話す人々への共感,豪華な都市生活への怒りや妬みを肥大させていった.これが復讐感情となり,東プロイセンで暴発する.
多くの英雄的行為を目撃したのは事実だ.でも,赤軍の恥辱も数多く目にした.残虐行為すれすれの無慈悲な仕業が自分にできるとは,考えてもみなかった.自分は善良な人間だと思ってきた.だけど,こんなときにならないと頭をもたげない性質を,人間は奥深くに長い間隠し持っているものなのだ
中央のプロパガンダは,ソ連が被害者であるという思考と行動を強調し,戦後の保障を求める権利を訴えた.独ソ戦はナチスにとって殲滅戦であり,ソ連市民(ボルシェビキ)を殺戮するのが目的であった.ソ連兵は戦死するまでの平均期間が3週間と短く,部隊を離脱する兵士も多かった.ソ連は2,700万人の死者を出し,そのうち800万人が兵士であった.戦闘後には略奪や暴行が頻繁に行われ,戦後も多くの兵士がその狂気の残滓に苦しみ続けた.本書は,年老いたソ連兵のインタビューを通じて,彼らが勝利を語りつつも,自らの行った惨劇については沈黙を保つ様子を記録している.彼らも普通の人間であり,目が覚めると自分の狂気を恥じた.スターリン政権の宣伝は赤軍内で万全ではなく,兵士の心を捉えていたのは忠誠心ではなく,独軍の砲撃への恐怖心であった.本書は,限られた事実から組み立てられた推論が異様なまでの説得力を持ち,長い間抑圧され陰に隠れていた人々の情念や怨念を文字に表している.
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Title: IVAN’S WAR - THE RED ARMY 1939-45
Author: Catherine Merridale
ISBN: 9784560097700
© 2020 白水社