▼『あの人は帰ってこなかった』菊池敬一,大牟羅良 編

あの人は帰ってこなかった (岩波新書 青版 530)

 子種を絶やさぬためといわれて嫁入りさせられ,いくばくも経ずして夫を戦場に送り出した若い農婦は,ひたすらに夫の帰りを待ち侘びた.だが,待つ人は遂に帰ってこなかった.夫を戦場で失なった彼女たちが,戦後二十年間,「家の名誉」と想像を絶する現実の厳しさとの矛盾の中ではいずり廻って生きてきた血と涙の記録――.

 後の国内女性史として,「戦争未亡人」の状況と実態を避けて通ることはできない.全国人口調査では,女性が男性を420万人上回り,15歳~49歳の女性は配偶対象となる男性より647万人多いことが判明している.岩手県和賀郡横川目村に住む9名の戦争未亡人に,戦後20年の積年の思いを聴き取ろうとする試みである.

明日たつという前の晩,みんな集まって出征祝(たちぶるまい)してくれた時,あの人急に座敷から見えなくなってしまったノス.オレ,どこさ行ったべ,と思ってさがしたれば,暗い部屋(寝所)の床の上さ黙ってあぐらかいて座っていたノス.オレのところ見たれば,「俺なあ……」っていったきり黙って動かないで座っていたっけモ.今でも,オレ,ハ,その気持ちわかるマス.だれェナッス,喜んで行く人,どこの世界にあるべナッス.酒のんだって,騒いだって,なんじょしてその気持消えるべナッス.オレもハ,泣いてばかりしまって,ろくな力付けも出来ないでしまったったモ

 共同体の中で,空閨をかこつと揶揄の対象とされ,力仕事に男手を借りてはあらぬ魂胆というものを邪推され,同性の女性を頼れば「夫を狙うな」と非難される.凱旋した帝国軍人の叙勲,武勇を讃える戦争記事は,当時の子供雑誌などに溢れていた.

息子の遺骨来たとき“おまえこんな姿になって来たってか”って,箱さかぶりついたス.箱の中さ,小指ぐらいの骨ッコがたったひとつ入ってたったんス.ほんとうに息子だべか?そうだんべか?と思って,その骨ッコなめてみたったんス……

 戦死という「栄誉」の陰で,太平洋戦争により生まれた戦争未亡人は50万人以上,その現象をカルチュラル・スタディーズとして切り取った「遺族の声」なる記録である.インタビューに応じた多くの女性が,戦争さえなければと嘆く一方,為政者に対する怨みは語っていない.その「沈黙」にこそある意味を読み取るべき,という指摘は重く受け止められよう.

戦争そのものを批判しないのも,「あんな戦争さえなかったら」「なに,戦争しなくてもよかったのに」と考えてゆけば,結局夫の戦死も,しなくてもいい戦争で戦死したことになる.言葉を代えて言えば"犬死"したことになる.そんな惨めさには耐え得ないからではなかろうか,そんな気もします.こう考えると,戦争を批判しないのも,宿命として甘受しているかに見えるのも,決して批判がないのではなく,また,宿命として甘受しているのでもなく,ここにも深い沈黙が隠されているかに思えるのです

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原題: あの人は帰ってこなかった

著者: 菊池敬一,大牟羅良

ISBN: 4004150124

© 1964 岩波書店