22歳の若さで日本国憲法GHQ草案作成に参画し,現在の人権条項の原型を書いた女性の自伝.その後ジャパン・ソサエティ,アジア・ソサエティなどでアジアの文化をアメリカに紹介する仕事に携わり,西洋と東洋の架橋となったその生涯を記録――. |
日本国憲法には,「家族尊重規定」がない.GHQ草案が起草された1946年の2月4日から12日までの9日間,人権小委員会参画を許されたベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)は,当時22歳.世界的に著名なユダヤ系ピアニスト,レオ・シロタ(Leo Sirota)を父にもつベアテは,父に連れられベルリン,パリ,ブリュッセル,フランクフルト,ザルツブルク,ロンドンを巡る.コスモポリタン的経験が,5歳から10年間の来日,渡米留学後はGHQ民政局員として再来日する基盤を形成した.
豊富な語学力と,軍国主義下の日本生活を知る貴重なスタッフとしてGHQに重用された根拠とされる.皇居を臨む日比谷の第一生命ビルを接収した場所に置かれた民政局には,ニューディーラーが多く駐在していた.弁護士,法務博士という知的エリートに囲まれ,「女性の権利」についての条項(日本国憲法GHQ草案)担当を命じられたベアテは,アメリカ,イギリス,ドイツのワイマール憲法,フランス,ソ連,スカンジナビア諸国の憲法に関する文献読解に打ち込んだ.
彼女が手がけた福祉・家族関係の条項はGHQ内から全面削除が提案され,折衝にあたった日本側(佐藤達夫や白洲次郎)も,男女同等の権利が日本の風土に適合するか懐疑的だったという.だが,GHQニューディーラーに浸透していたフランクフルト学派――マルクス主義の影響も強い現代社会の「総体的解明」路線――について,ベアテはあまりに無知だった.ベアテ案は25条の生存権条項に一部盛り込まれたものの,女性の権利要求の思想的背景を追求することなく,ただ「現状打破」に汲々としていたように見える.
本書は日本国憲法成立過程の主観的「回顧録」.憲法改正の糸口を期待して読むことには適さない.一女性の涙で憲法草案のパフォーマンスが左右されたかのような売り文句は,本書の意義を根本的に否定していることに出版社は気づいていない.ベアテが女性の地位向上に心血を注ぎ,無権利状態で放置された女性の人権を保護するための起草は,「生涯で最も密度の濃い時間だったかもしれない」.女性議員の活躍,市民団体の代表に女性が就任するようになった日本の状況について,晩年のベアテは眼を細めて喜んでいたという.
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Title: 1945年のクリスマス
Author: Beate Sirota Gordon
ISBN: 4760110771
© 1995 柏書房