▼『自分の体で実験したい』レスリー・デンディ, メル・ボーリング

自分の体で実験したい―命がけの科学者列伝

 坂口安吾は「ラムネ氏のこと」という小文で,ふぐ料理の殉教者やきのこ採りの名人のことを讃えている.毒かどうか試した人がいたのだ.本書は,科学と医学の分野で,動物実験などをやった後で,最後に自分を「実験台」とした,過去2,3世紀の世界各地での事例の中から興味深いものを集め,原論文や様々な資料にあたりつつ再現を試みる.多くの人命を救った実験もあれば,ノーベル賞級の実験もある.自らの命をこの実験に捧げることになった実験もある.なぜそうした実験をすることになったか,実験者の心と行動に光を当てることで,大変ユニークな読み物となっている――.

 体的な「人間の限界」を生理学的に突き止めようとしたマッド・サイエンティストの記録は,いくつもある.中でも,伝染病や寄生虫の蔓延に対処し,予防するための礎を築かんとする科学者たちの努力には,呆れと感心を同時に感じるほかはない.

 400年前のイタリアで,自分の体重,飲み食いした物の重さ,排泄物の重さを30年にわたって計りつづけたサントリオ・サントリオ(Santorio Santorio).ペルー特有の原因不明の熱病を解明するため,自分の体に菌を感染させたダニエル・カリオン(Daniel Alcides Carrion).自分の体で,世界で初めて心臓カテーテル法を成功させたヴェルナー・フォルスマン(Werner Forssmann)等々.

 彼らは,自分の体をもって,人間の生存の最低条件を検証したわけではない.学問的貢献や社会貢献を意図する人体実験に,自己の肉体を単純に用いたわけである.並外れた探求心は,名誉欲を凌ぐ好奇心の上に成り立つ.本書に登場する10の自己実験のうち,外界からの刺激から完全に隔離された環境に身を置くと,人間の生理・心理はいかなる状態に変化するかを実験したステファニア・フォリーニ(Stefania Follini)だけは科学者でないが,ほかは大半が自然科学者――医学を筆頭に――である.

 本書は臨場感に溢れた翻訳の文体がすばらしい.科学であれ何らかの臨床であれ,それぞれのフィールドで生命を賭してまで明らかにしたいテーマに取り組んだサイエンティストの勇気と熱意,その舞台に読者を誘う.

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Title: GUINEA PIG SCIENTISTS

Author: Leslie Dendy; Mel Boring

ISBN: 9784314010214

© 2007 紀伊國屋書店

▼『骨たち』チェンジェライ・ホーヴェ

骨たち

 野間アフリカ賞,大江健三郎氏激賞作.ジンバブエ独立戦争のさなか,戦乱に斃れた兵士とその恋人,兵士の母と父らの独白の連鎖を通じて鮮明に力強く物語られる.アフリカ文学の新たな息吹きの完訳――.

 学不毛の地アフリカ,と信じられた風潮は,容認しがたい.アパルトヘイトによる政治的抑圧のイメージがいまだアフリカ文学には根を下ろし,アフリカ文学者がメディアに登場することは,あまりない.しかし,アフリカ文学のきらめきに触れようと思えば,実はそれほど難しいことでもない.本書の舞台ジンバブエは,2度のチムレンガ(白人に対する"武装蜂起"・ショナ語)を経て,1980年にイギリス主体のローデシア共和国に引導を渡すことに成功.ジンバブエ共和国の成立をして,90年にわたる植民地支配からの決別がなされたが,深い傷は今も癒えることはない.ただ,政治的弾圧とネグリチュード運動だけが,アフリカ文学の真髄とはいえない.

 ネグリチュード運動は,表現の場を見出せないままアフリカ大陸全体の内奥部に秘匿されていた憧憬の気持ちが,世界史の発展する過程で祖国アフリカへの憧憬の気持ちと結合した結果生まれた,秘教的な文学運動であった.『骨たち』の物語は,マリタ,ジャニファといった2人の女性の生き方が,情緒的に,だが力強く描かれる.チェンジェライ・ホーヴェ(Chenjerai Hove)が民族の遺産としてのチムレンガの伝統に照らし出すことで,ジンバブエの現在がよりはっきり見えてくるはず,と述べているのは,ジンバブエの歴史がすべて,人と文学と政治と環境に多大な影響を及ぼしているとの主張を本書がなし,2人の女性の生き方にこそ,ジンバブエの血流を汲み取ってほしい想いが込められているからだ.

 アフリカ人作家の物語の伝承は,口語伝承にとどまらない.作品の形式は,小説,ノンフィクション,随筆といった多様な姿でわれわれの前に現れる.だが,それは,英語,フランス語,ポルトガル語などの言語で発表されて,世界の多くの人の目に触れる機会を得る.これらの「グローバル言語」でなければ,日の目をみることは難しい.ホーヴェは,本書を英語で書いた.そのために,英語圏以外の国への翻訳も容易になった.これが,ガラ語,トゥイ語,ショナ語などの民族諸言語であればどうだろうか.民族的色彩を大切にすることと,それが世に広く出回ることはイコールではない.民族の文化的経験の貯蔵庫ともいえる言語は,他文化との接着剤の役目をもっている.文学作品が多くの人に知れ渡るにはより多くの人に共通する単位で提供されることが必要なのだ.アフリカ独自の文化を創造,深化するためには,自国の言語が重要であることはいうまでもない.それが,植民地化され,他の言語を強要された場合,その国の伝統文化はどう変質していくかということである.言い換えれば,言語の抑圧と伝統文化の固守は,トレード・オフの関係にあるのかどうかということだ.

 ジンバブエではないが,この問題の理解に大きな示唆を与えてくれるのは,ウォーレ・ショインカ(Wole Soyinka)の見解である.ショインカは,ナイジェリアの詩人,劇作家.1986年にアフリカ人としては初のノーベル文学賞を受賞.1954年から1957年まではイギリスのリーズ大学で演劇を学び,ブレヒトベケット,イエーツ,ギリシャ悲劇・喜劇に通じている人物.ナイジェリアは,19世紀にベニン王国がイギリスに倒され,植民地化された.ジンバブエと同様に,英国支配に隷属した経験を持つ国である.1987年9月24日,ウォーレ・ショインカが国際シンポジウム出席のため来日した.この時,毎日新聞社が大阪ロイヤル・ホテルでインタビューを実施している.その中で,ショインカは「ナイジェリアの人々に与えられた英語と,アフリカ文化の創造に英語を使わなければならないということで,矛盾は生じないのか」という質問に答えた.

 以前,ユネスコ主催の会議で,アフリカのそれぞれの国々にスワヒリ語を統一言語にしようということが議論された.しかし,ショインカはその強制的な実施には反対した.独立を目指して闘っている国民に対して,新しい言語を導入するということは,新しい問題を生むと考えた.たとえそれが植民地の支配者である言語を覆す目的であっても,そういった言語の使用方法には納得できない.文化的,政治的な範囲というのは,決して国境と同じではない.さまざまなアフリカ民族の言語が飛び交う中で,アフリカが共通言語はもてるのかという疑問がある――変則的な回答になっているが,多分に示唆的な見解だった.言語を使うことに対し,慎重な姿勢を崩さずに,他言語の導入による文化の破壊を懸念している.

 文化をめぐる言語の状況が混沌としているアフリカにおいて,言語の統一化は新たな火種となる恐れがある.すなわち,異文化の破壊を異なる言語でなさんとするのは,誤った道である.そして,いったん導かれたこの誤りは,収拾不可能になる恐れがあるということである.アフリカ文学は,表現上の言語という制約を与えられ,特殊な表現様式をも生み出している.それをナディン・ゴーディマ(Nadine Gordimer)は,「謎めいた語法」と呼んだ.本書でも,この謎めいた表現(これはしばしば暗喩という形式をとる)が登場する.ハゲワシが大きく広げる翼が太陽を遮り,空は沈黙を守る.悪い病が先祖の心を食いつくし,父母の心を蝕む.官憲の目を欺くために,文意をどのようにでもとれる表現は,作品が生き残るために編み出された妙技である.そうでなければ,常に焼き捨てられる危険をともにする.

 アフリカ文学は言語の選択に関して,有効なカードを持ちえないまま今日に至ってきたことが,表現様式の制約とあいまって,特殊な文学と位置づけられた理由の1つである.たとえば,英語で書かれた本書のように,世界から見たアフリカを文学によって煥発し,論じられることをアフリカ作家はおそらく望んではいない.アフリカから見た世界を表現し,内部から見た実態の声をあげることで,民族の誇りと自己のプライドを意義付けようとしている.

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Title: BONES

Author: Chenjerai Hove

ISBN: 4062047721

© 1990 講談社

▼『ダブリン市民』ジェイムズ・ジョイス

ダブリン市民 (1953年) (新潮文庫〈第570〉)

 貧しい家をぬけだして,ブエノスアイレスで新しい生活を始める約束をしてしまった少女のためらいを描く『エブリン』.クリスマス舞踏会の主賓ゲイブリェルの心の動きを中心に,美しい心理描写で潜在意識の世界へ踏み込んだ『死せる人々』など,愛,死,宗教,政治などのテーマによってダブリンとダブリンの人人の生活を自然主義的リアリズムで描く15の短編を収める――.

 イルランド独立運動挫折期,南ダブリンの裕福な地域ラスガーにて没落してゆく中流カトリック家庭で,ジェイムズ・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce)は育った.イエズス会の教育を受け,設立間もないユニバーシティ・カレッジ・ダブリンを卒業したジョイスは,徹底した写実技法によって自らダブリンを”麻痺の中枢”と称した.本書は,トリエステ,ローマなどヨーロッパを転々としながら,アイルランド精神史の一章を書く意図で著されたジョイスの初期成果である.

 酒に溺れた夫を捨て,下宿屋として奮闘するムーニー夫人.下宿している男性と自分の娘の関係を知った夫人は,娘を相手と結婚させるべきだと考える…(「下宿屋」).日々退屈な仕事に追われるチャンドラーは,詩を愛する男.ロンドンで立身出世した友人と8年ぶりに会って,自分の詩作を売り込みたいと考えるが…(「小さな雲」).厭世的な生活を好む男が,ふとしたことから夫人と知り合い,知己となる.だが彼女に幻滅して関係を断ち,4年後.新聞記事で堕落した夫人が轢死したことを知る…(「痛ましい事件」).全15篇.

 都市ダブリンが”麻痺の中枢”であり,「無関心な公衆」の様相は,幼年期,思春期,成年,社会生活の面で描かれる.それは,閉塞的なダブリンに住む人々の挫折の諸相ということでもあった.無気力な現状に対し変革の努力もせず,運命に抗することもない憂鬱に支配されている場所に,ジョイスは不満と違和感を抱き続けた.母の危篤に際して帰国した後,再び出国してチューリッヒ時代(1915年-1920年),パリ時代(1920年-1940年)をジョイスは過ごす.

 イギリス王室の文学基金助成金を得て,T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)やサミュエル・ベケット(Samuel Beckett)との文学的交流を結び,内的独白」や「意識の流れ」という手法,さらに言語の前衛的実験を通じて人間の内面と言語性を追求した.本書は,多数の大学で英文講読文献に指定されている.

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Title: DUBLINERS

Author: James Joyce

ISBN: 4102092013

© 1953 新潮社