■「聖杯たちの騎士」テレンス・マリック

聖杯たちの騎士 [Blu-ray]

 ハリウッド映画の脚本家として成功を収めつつあるリック.しかし,ふと「自分はどこで道をまちがえたのだろうか」と疑問を抱くようになる.弟のビリーが自殺して以来,父親は罪の意識に苦しみ,もうひとりの弟は悲しみに勝てずに落ちぶれていた.やがてリックの前に,次々と6人の女性たちが現れる.奔放な女性,別れを告げる妻,夫のいる女性….

 リシア叙事詩では,文芸を司る複数の女神ムーサにエピグラフを捧げ幕を開ける物語が多くある.『オデュッセイア』では「詩の神ムーサよ,かの人をわれに語れ.あまたの艱難を体現したかの人を‥‥」.霊感の源泉を御する女神たちへの果てしない敬慕である.ハリウッド脚本家として成功した男の富・名声,個性的な6人の美女と順に交わす性愛――彼は魅力的な女性と出会うたび,紳士的な態度で好意を表すが,いずれの関係も短期で破綻する.

 回想の中でしか彼女たちは微笑まず,喜びや悲しみの表情も,この男の記憶の奥へと追いやられていく.原題"KNIGHT OF CUPS"は,タロットカードによる正位置(誠実・好意)と逆位置(不誠実・裏切り)で,彼は自分の意思で女性との位置関係を入れ替える.膨大なモノローグで冗長な語りでありながら,身の処し方はプラグマティックでしかない.本作の冒頭に引かれるのは,ジョン・バニヤン(John Bunyan)『天路歴程』.妻子を捨て重荷を背に,破滅の町から巡礼に出発した基督者の「魂の研鑚」を描いた作品である.

 魂が天の都へと辿り着くのであれば,文芸の女神ムーサが語りうる篤実な物語になりうるだろう.しかし,本作の主人公は所詮俗物であるので,破滅の町からせいぜい虚栄の市を経巡る寓話にすぎない.テレンス・マリック (Terrence Malick)による幻視画(ジオラマ)にロマンを見出すのか,主人公のおびただしい独白に不合理と女々しさしか甘受できないのか.どちらをとっても,世界観にパノラマ要素が与えられていないため,主人公をマージナル・マン――周辺人/境界人――としか理解できないのである.

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原題: KNIGHT OF CUPS

監督: テレンス・マリック

118分/アメリカ/2015年

© 2014 Dogwood Pictures, LLC

■「太陽がいっぱい」ルネ・クレマン

太陽がいっぱい 【特典DVD付2枚組】 [Blu-ray]

 貧しい青年トム・リプリーは,大富豪の息子フィリップの友人だったが,フィリップは,ことあるごとにトムを見下し侮辱した.トムはある計画を立てる.2人だけで海に出たヨットの上で彼はフィリップを殺し,死体を海に投棄した.サインも練習してトムはフィリップになりすまし,計画は成功するかに見えたが….

 光の降り注ぐ中で「太陽がいっぱいだ」と誇らしげに呟く.次の瞬間に彼の運命は翻る.暗転したスクリーンの背後で,静かに進行していた主人公の計画は白日の下にさらされる.その映像は,観客の瞼に克明に映し出され,泡沫のように消え去ってゆく.哀切なメロディと,眩い光が青年の運命の悲嘆を際立たせている.平易な評論で映画の魅力を伝え続けた淀川長治は,富裕層の放蕩息子と貧困層の美青年の間に流れる感情は,同性愛的なものであると評した.偏執的な同性愛ゆえに,貧しい青年トムは,放蕩息子フィリップを自分と同化させるため殺害する.しかし,死体を捨てきれずにクルーザーに繋いでいたという解釈である.

 トムは,富も恋人も手中に収めたが,そこで計画は終了し,あとは真の恋人フィリップに会うだけが目的となったのか.それとも,これから先も彼の名を騙り生きていくつもりだったのか.フィリップの恋人マルジュを誘惑して我がものにするトムは,マルジュを愛する自分を演じることによって,フィリップと同一化を図った.常にフィリップに支配されていたトムは,彼を殺してその肉体と未来を支配した.そして今は彼との融合を達成しようとしたわけである.トムは殺人を犯すたびに,その場にある食物を口に押し込んで飲み下す.象徴されるのは,「貧しさからくる卑しさ」「殺人欲求と生理的欲求の近しさ」.

 いかに金持ちの息子に取り入り,同様に振舞おうとしても,出自の卑しさは隠すことができない.逆に,放蕩息子がいかに奔放に振舞おうとも,身についた品性が拭い去られるわけではない.「テーブルマナーくらい知っておいたらどうだ」とトムはフィリップに冷笑される.トムの表情には何とも痛切な色が浮かぶ.第1の殺人の後は果実を無心に貪り,第2の殺人の後はナプキンを広げ,七面鳥を食いちぎる.食欲を満たす行為は,直前の獣性の行為と人間性との境界を融かし,パターン化した行動は自分を安定させるための儀式となる.トムは殺人の自覚を鈍化させる手段を無意識に講じていたのである.殺人の発覚を恐れフィリップの友人を撲殺したトムは,フィリップの服装に身をまとい,死体を投棄して自分に言い聞かせるように呟く.

そうだ,殺したのは俺じゃない.フィリップがやったんだ

 完全に思われた犯罪も,やがては眩しい太陽の光の下に全てをさらけ出す.窮境から脱け出そうと必死に画策した青年の野望は,儚くも砕け散るのである.建物の陰から虎視眈々と彼を狙う刑事の存在を知らず,青年は人生最高の瞬間を迎えていた.全てを隠蔽し,危機を回避したはずの自分に怖いものはもう何も無い,人生は思うがままと幻想を抱いたとしても無理はない.そしてこの見方は,多くの人に支持されるだろう.期せずして頂点から転落する美貌の犯罪者の姿こそ,帰結にはふさわしい.太陽は全てを知っていたことを知る者のみが,深い余韻に浸りながら,人間の本質と欲望の葛藤に思いを馳せることができる傑作.

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原題: PLEIN SOLEIL

監督: ルネ・クレマン

122分/イタリア=フランス/1960年

© 1960 STUDIOCANAL - Titanus S.P.A

■「イーストウィックの魔女たち」ジョージ・ミラー

イーストウィックの魔女たち [DVD]

 ジョン・アップダイクの同名小説を原作,"マッドマックス"シリーズのジョージ・ミラー監督が作り上げた,奇想天外なコメディ.アメリカ東部の田舎イーストウィックに暮らす3人のセクシーな魔女と,彼女たちの前に現れたひとりのダンディな悪魔との四角関係の行方は――魔女と悪魔を存分に見せるSFXに加え,いずれ劣らぬ実力派揃いの出演陣が見もの.

 ョージ・ミラー(George Miller)が取り上げたのは,「女三人寄れば姦しい」を地でいく彫刻家,音楽教師,ジャーナリストの未亡人3人.舞台はニューイングランドの田舎町,各自が理想の男性像を好き勝手に喋り散らしている嵐の夜.何か不思議な力を持つとされる3人は,これまでに好奇心の赴くまま降魔の儀を執り行ったことがあるに違いない.

 3人の前に現れた悪魔デイル/ジャック・ニコルソン(John Joseph "Jack" Nicholson)は美貌には程遠い.しかし,むせ返るほどのフェロモンを振り撒いている.ブルース・ギタリストのトミー・ジョンソン(Tommy Johnson)は,悪魔と取引することで,ギター奏法の上達を可能にしたと兄弟に告白したことがある.だが悪魔といえど,今回孤軍奮闘するには相手が悪すぎた.

 シェール(Cher),スーザン・サランドン(Susan Sarandon),ミシェル・ファイファー(Michelle Marie Pfeiffer)演じる3人は,それぞれデイルとの「契約」を結んだ.一時は三者のつながりは恋敵の関係でバラバラになりそうになるも,女性特有の強固な「友情」でデイル撃退の戦術を迅速に取るのである.その連携たるや,怒らせると最も恐ろしく,容赦ない女性陣.神通力をもつが間抜けなデイルは,呪術を記した悪魔の書物を彼女らに奪われ,手酷い目に遭わされる.

 悪魔のくせに「俺だって優しくしてもらいたいだけなんだ!」と絶叫するデイルは,コメディにしても気の毒な役回りで憎めない.デイルが風に飛ばされ,魔女の手にするチェロは燃え上がり,本性を現した悪魔の巨体と咆哮.これらは特殊効果デザイナー,ロブ・ボッティン(Robin R. Bottin)の魅せ場である.ただ「遊星からの物体X」(1982)で見せたおどろおどろしいVFXは控えめ.本作はソフトタッチのホラー・コメディとなっている.

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原題: THE WITCHES OF EASTWICK

監督: ジョージ・ミラー

119分/アメリカ/1987年

© 1987 Warner Bros. Entertainment Inc.

▼『ソフィーの選択』ウィリアム・スタイロン

ソフィーの選択 上巻 (新潮文庫 ス 11-1)

 1947年の夏,作家になる夢を抱いている純粋な若者スティンゴは,出版社勤めを辞めて創作のために新しい生活を始めようとしていた.安下宿に移った彼は,階上に住むポーランド美女のソフィーやユダヤ人のネイサンと親しくつきあうようになる.ソフィーとネイサンの関係は,深く愛しあいながらもただならぬものが漂っていた……ピューリッツァー賞作家が描く哀しく激しい恋愛小説――.

 択を下さなければならない状況によって,極限まで追い込まれた人間の人生にもたらされる宿命観.著者はホロコーストの非ユダヤ人被害者について書くことで,やや小さな議論を呼んだ.ソフィーはポーランドからアメリカに亡命してきた女性で,ナチス強制収容所で過ごした経験がトラウマとなっている.ニューヨークで彼女はユダヤ人の恋人ネイサンを得るが,ネイサンは性的魅力に富むとともに精神を病み,異常な衝動性を抑えられない男だった.編集長と衝突して解雇され,失業状態で恋人もいない孤独なスティンゴを,ソフィーとネイサンは海水浴に誘ったり,ユダヤ料理をご馳走したり,温かい友情をもって接する.

 収容所の悪夢の経験によっていまだに心身に深い傷を負っていること以外,何も語ろうとしない謎めいた彼女にスティンゴは淡い恋心を抱く.物語は,ソフィーの回想により息子や娘と生活する占領下ワルシャワ,そしてアウシュヴィッツへと移り,その語りには意図的な省略,沈黙が含まれる.かつて反ユダヤ主義者の父親の手足として働いたことへの贖罪意識から逃れられないソフィーは,ネイサンとの被虐的共依存関係に溺れていく必然性に囚われている.亡命後の生活が虚構でしかないソフィーは,同じように虚構の世界に生きるネイサンともつれ合うようにして生き,彼女の運命を暗示する.

 ソフィーの語られない過去に秘められた「選択」――狂気を生き延びた者の心は凍り付き,懺悔と恐怖のもとに「死」の誘惑を断ち切ることはできなくなる.それは,選択不可能なものに対して「選択」を強いた結果,破滅的な悲愴感に支配されてしまった人生の告発である.祖父が奴隷を売却して得た財産で食いつないでいるスティンゴの贖罪意識,南部出身の著者自身の黒人に対する贖罪意識がソフィーの壮絶な人生に重ね合わされ,ユーモラスなスティンゴ自身のポジティブな明るさをもってしても,生に彼女を繋ぎ止めることのできなかった敗北を彼は思い知った.

 ソフィーとネイサンをナッソー郡墓地に並べて葬ったスティンゴは,砂浜に立ってソフィーを思って涙をこぼし,疲れて眠り早朝に目覚めた.ただの朝,半透明の靄がかかった青緑色の空に明けの明星が輝いている.ホロコーストユダヤ人迫害としてだけでなく,人間の自由意志を奪う悪のシステムとして捉えようとした物語として,重層的なナラティブが時間軸を前後しながら,選択の意味とその果てにある絶望を探求する境地を認識する人間の彷徨譚である.

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Title: SOPHIE'S CHOICE

Author: William Styron

ISBN: 4102360018, 4102360026

© 1991 新潮社

■「ハリーとトント」ポール・マザースキー

ハリーとトント [Blu-ray]

 元大学教授で72歳のハリーは,区画整理のためマンハッタンから強制的に退去させられた.愛猫のトントを連れ,ハリーは長男の家に世話になるが,義理の娘に気を遣ってそこを出た.シカゴにいる実の娘を頼ろうと考えたハリーだが,トントを連れて飛行機に乗るわけにいかない.しかたなく長距離バスに乗るが….

 学教授の性質にはカテゴリーがある.いかにも偏屈で学者然としたタイプ,研究者というより運動家と呼ぶべきタイプ,嫉妬深くて腹黒いタイプ,やんわりソフトな物腰で胡散臭いタイプ,学問的水準の高さと人格の高尚さが一体となったタイプ――いずれも,不相応に高すぎるプライドと名誉にしか興味がなく,哀れなほど臆病な人間たちである.

 人生の哀歓を集積する年代に到達しなければ,人生の機微は理解できないだろう.元大学教授ハリーは,妻と友人を喪い,残りの人生が先細っていくことを,何よりも自覚した老人である.喧噪のNYから都市化するシカゴ,煌びやかなラスベガスを通ってアメリカを横断する老人と猫.それだけの話だが,達観したハリーの精神の深さが,スローな映画を正当化している.

 多くの人物にハリーは会うが,触発されるほど彼は若くはない.かといって,若い娘や子どもに説教を垂れるほど,老害をまき散らしもしない.彼らの自主性を尊重しながら,訥々と助言するハリーの姿に,教授時代の学生に対する指導方針が透けて見える.現役を退いて,人が余生に求めるものは誰しも大差がなく,退職すれば,過去の栄誉など足枷でしかない.いかに周りの環境と調和しつつ,人生を閉じていく準備を整えられるかを静かに描いた映画である.

ハリーとトント [Blu-ray]

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原題: HARRY AND TONTO

監督: ポール・マザースキー

117分/アメリカ/1974年

© 1974 Twentieth Century-Fox Film Corporation