▼『役人の生理学』オノレ・ド・バルザック

役人の生理学

 本書が書かれた19世紀中頃は,フランスの官僚機構が揺るぎないものとして確立をみたときであった.《君主》の代わりに《万人》に仕えるという目的は,いつしか巨大な無責任体制となり,さまざまな非能率を生み出していく.時代の幻視者バルザックはこの近代官僚制度と俸給生活者(サラリーマン)の原初形態を看破する――.

 論・出版の自由の制限,選挙法の改定による資産家優遇などに反発した民衆の武装蜂起「7月革命」に反発,正統王朝派に転向したオノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)は,政治的には君主制主義,宗教的には正統的カトリシズムの傾向をもっていた.悪政――歴史的断絶が残した「傷」――を癒そうと考えたバルザックは,王政から民主政への過渡期の時代において,必然的に導入されることになった官僚制についてリアリズム的に諷刺している.

役人とは生きるために俸給を必要とし,自分の職場を離れる自由を持たず,書類作り以外なんの能力もない人間

 社会におよそ存在しうるあらゆる人物・場面を描くことによってフランス社会史を形成する『人間喜劇』構想には,必ずしも『役人の生理学』で戯画化された人々は布置されていない.間接選挙で支配者が決まる民主国家においては,「万人」に仕えるということは誰にも仕えないに等しく,単に「負託」「奉仕」という言葉で責任の実態を空洞化させる.それを意図した官僚機構は,客観的には非効率でしかないが,実際に働く役人の生態を「生理学」として見るならば,競争原理の回避,高い生活水準の維持というホメオスタシス(恒常性)は,当事者である限り絶対に抗えない魅力をもって役人を飼い殺すのだ.

人文・社会科学アカデミーは,次の問題を解いた者に対し賞品を出すべきである.すなわち,「少ない役人で多くの仕事をする国家と,多くの役人でほとんど何もしない国家とではどちらが優れた国家か?」

 19世紀の半ば頃,パリの書店は本書のような「生理学」ものと呼ばれる小冊子――青か黄の表紙の諷刺娯楽本――で溢れかえっていた.フランス革命以後に成立した社会的・思想的原理への批判精神を抱き続けたバルザックは,悪徳から神性に至る人間社会の全的な世界像を創造しようとした「幻視家」と評価され,その時代のすべての職業的歴史家,経済学者,統計学者の著書全体よりも多くのことを教える,とフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)は述べている.

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Title: PHYSIOLOGIE DE L'EMPLOYE

Author: Honoré de Balzac

ISBN: 4794822375

© 1987 新評論