■「L.A.コンフィデンシャル」カーティス・ハンソン

L.A.CONFIDENTIAL-ブルーレイ・エディション- [Blu-ray]

 縄張り争いが激化する'50年代のロサンゼルス.街のコーヒーショップで元刑事を含む6人の男女が惨殺される事件が発生した.殺された刑事の相棒だったバドが捜査を開始.殺された女と一緒にいたブロンド美女リンに接近する.彼女はスターに似た女を集めた高級娼婦組織の一員だった.同じ頃,その組織をベテラン刑事のジャックが追っていた.野心家の若手刑事エドも事件を追い,容疑者を射殺.事件は解決したかに見えたが,彼ら3人は底なしの陰謀に巻き込まれていく….

 作者ジェイムズ・エルロイ(James Ellroy)の「暗黒小説四部作」は,1947年から1954年のロサンゼルスを舞台としたクライムフィクションで評価が高い.本作はその3番目に位置する同名小説の映画化."情念の作家"エルロイの創り出したノワール的雰囲気は,L.A.P.D.(ロサンゼルス市警察署)に飛び交う怒号やスラングで生々しく,退廃的ないかがわしさを新たなテイストとする映像に仕上がった.終戦から数年後,1950年代のロサンゼルスは,最も都市化が進んだ一方で,凶悪犯罪も増加.公民権運動のきっかけを与えたモンゴメリー・バス・ボイコットやリトルロック高校事件が起きた年代である.

 当時のロサンゼルスは,ロス市警―マフィアの癒着で無法化した腐敗組織に牛耳られた地域であった.1950年から1966年までL.A.P.D.署長であったウィリアム・H・パーカー(William H. Parker)は,L.A.P.D.特定部署には,パトロールをより機動的に変えようとする戦略をとらせ,徒歩によるパトロールからパトカー巡回への優先へと変化させた.警察官を街頭から隔離することによって,汚職の機会を減らすことができると考えたためであった.しかし,当該の部署は,悪徳商法や軽犯罪を取り締まる腐敗的イメージをより強める活動を続けた.警察組織で論争の的となったのは,組織犯罪・情報部門などL.A.P.D.の統制機能を用いて,疑惑のある政治家やマフィア・シンジケート,腐敗と麻薬にまみれたハリウッド映画産業とセレブリティを監視する是非であった.

 本作では,3人の刑事が,己の信念と野心にもとづいてL.A.P.D.とロス市街を徘徊する.12歳の時,父親が母親を縛り付け暴力を振るった挙句に殺害する姿を目の当りにしたバド.36歳で殉職した伝説的刑事を父親に持ち,父を目標に主席で警察学校を卒業し刑事課への転属を狙うエド.ロス市警の活躍を描いた人気TVドラマのテクニカル・アドバイザーを務め,ゴシップ誌記者に逮捕情報をリークして裏金をとるジャック――彼らの強烈な個性は,ナイト・アウル・カフェで起こった惨殺事件をきっかけに,各自の行動原理を強化しまたある部分は変容せざるを得なくなる.一方,バドとエドの決裂を呼び込む高級娼婦リンは花形のファム・ファタールではあるが,キャラクター的陰影は乏しい.

 警察署内に党派的な団体が深く関与し,政・官・財汚職が混在する区政の浄化のためには,警察官養成のコンセプトが必要であった.具体的に「保護し,奉仕する」というコンセプトが1955年に警察学校に導入され,すべてのL.A.P.D.公式標語になったのは1963年のことである.公民権運動の激化とベトナム戦争の泥沼化がアメリカ社会を覆うと,1950年代のクライムフィクションは急速に色褪せ,アメリカン・ニューシネマの手法で社会の閉塞感を描き出す作品が量産される時代に突入する.

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原題: L.A. CONFIDENTIAL

監督: カーティス・ハンソン

138分/アメリカ/1997年

© 1997 Warner Bros. Entertainment

▼『アンティキテラ』ジョー・マーチャント

アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ (文春文庫)

 1901年,ギリシアの海底から奇妙な機械の破片が引き上げられた.小さな箱に多くの歯車を組み込む洗練された設計と技術.はじめは紀元前1世紀のものとは誰も信じなかった.いったいこれはなんのために創られたのか?百年にわたった謎解きを研究者たちのドラマとともに描く,興奮の科学ノンフィクション――.

 計の発明より1400年早く,水時計や無限ねじに活用された歯車(ギア)の発明から百数十年後に現れたと考えられる奇妙な機械<アンティキテラ>.クレタ島の西北,ペロポネソス半島の南端マレア岬の間に位置する海域から引き揚げられた.機能と考案者の解明に取りつかれた研究者らの競合.考古学と博物学の専門分野を,はるかに凌ぐ機能をアンティキテラが有していたこと,その輪郭が明らかにされるプロセスの知的興奮である.イギリスの科学史家デレク・デ・ソーラ・プライス(Derek J. de Solla Price)は,アンティキテラが紀元前80年ごろの「カレンダー・コンピュータ」であるとした.

その木造の箱の横にあるハンドルを回した者は,宇宙の主になれた.過去でも未来でも,自分が見たい時間の天空の動きを,見ることが出来たのだ.表側の針は十二宮の中で移り変わる太陽,月,惑星の位置を示し,月の満ち欠けを教えた.裏側の螺旋の文字盤は太陽暦太陰暦の組み合わせで年と月を示し,食の時期を教えた.表側の文字盤に記された文字を読めば,どの星座が空に現れたり消えたりするかがいつでも判った.裏側の説明書きを読めば,予測された食の場所と見え方が判った

 本書においては,ロンドン科学博物館で計算機部門主学芸員を務めたドロン・スウェード(Delon Suede)の意見にしたがい,数学計算が可能なだけでなく,一連の数字で解が得られる計測器を「コンピュータ」と解釈する立場に立つ.3つの表示盤の目盛りは,ソティス周期に基づく365日のエジプト式カレンダーまたはソティス年,黄道十二星座の記号を示し,暦ダイヤルを4年に1回1日分戻すことにより実際の1太陽年(約365.2422日)との誤差を補正することができるという.3つの針の1つは日付,残りは太陽と月の位置,また機械に刻まれたギリシア文字は火星と水星に関する記述となっている.プライスは,この機械は天体の運行を予測し,暦を設定するためのプログラムがなされたカレンダーなのであると結論付ける.天文学と数学の理論に基づいて製作されたものであり,占星術と科学と政治がフラクタルな調和をみせた時代の産物ということである.

 プライスの論理と直観は,ロンドン博物館の工学部門を担当していたマイケル・ライト(Michael Wright)の着想で裏付けが取られ修正がなされていくが,不幸なことに学者のポストを得ていなかったライトは,研究上のアイデアの盗用という悲劇を経験し,それを乗り越えて「復元モデル」を製作して解明に一石を投じた.アンティキテラの事実上の解読者ともいえるポジションにライトは置かれ,その共感が本書には強く認められる.バビロンの天体計算式「システムB」が紀元前260年までには(早ければ紀元前500年には)考案され,ギリシアに受け継がれていたと考えられている.建築や彫刻,哲学の分野では長けていたが科学力を用いた実用性の面では劣っていたと看做されることの多かった古代ギリシャにおいて,精密な機構を備えたアナログ・コンピュータの実例がアンティキテラであることは,もはや疑いを容れない.

アンティキテラの機械がなぜ,誰によって作られたかを解明することは,古代のテクノロジーが「原始的」で,現代のテクノロジーは「先進的」という概念を,覆すことでもあった.考えてみれば,現代人が正確に時間を刻む実用的な機械を求めていた同じところで,ギリシア人は知識を獲得し,天界の美を表現し,神々に近づく方法を追究していたのだ

 この精密機器を,バビロニアの民は,数世紀にわたる天体観測の純粋な経験則でのみ実現していた.テクノロジールネサンス以降の遺物,あるいは18世紀以後のものと信じられた常識と通説.それを覆す英知の「再発見」の営みは,年代測定法,CT断層撮影と画像処理技術の発展をして解明競争の激化をもたらした現代の「最先端」である.アテネ国立考古学博物館青銅器時代区画にプライスによる復元品と共に展示されている.その他の復元品は米国モンタナ州ボーズマンのアメリカ計算機博物館,マンハッタン子供博物館に収められているという.

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Title: DECODING THE HEAVENS

Author: Jo Merchant

ISBN: 9784167651794

© 2011 文藝春秋

■「セッション」デイミアン・チャゼル

セッション [Blu-ray]

 偉大なドラマーになるという野心を抱いて,名門音楽院に入学したニーマン.彼はそこで伝説の鬼教師フレッチャーのビッグバンドにスカウトされる.喜びを胸にリハーサルに参加したニーマンだが,そこはちょっとしたミスがクビにつながる,地獄のように厳しい場所だった.罵倒を受けながら,練習を続けるニーマン.やがてバンドの主奏者に昇格し,すっかり有頂天になったニーマンだが,フレッチャーによるさらなる試練が待っていた….

 ディ・リッチ(Bernard "Buddy" Rich)のようなドラムの超絶技巧に憧れ,名門音楽院に入学した青年,それを狂気のスパルタ式で指導する鬼教師.その師弟関係の本質は,協調や和解とは根本的に断絶し続ける対峙.フレッチャーは,インスピレーションを誇ったサクソフォニスト,チャーリー・パーカー(Charles Parker Jr.)を好んで例に引き,「過酷な指導にも耐えたから天分を開花させ,伝説的存在になれた」ことを説く.スタジオ・バンドの奏者は,練習日の朝9時前に音合わせをし,以後は息を殺して"待機".しばらくすると靴音が近づいてきて,フレッチャー教官が入室.時刻は9時ちょうどである.音楽性でリスペクトされるのではなく,畏怖で生徒を支配するフレッチャーの指導は,一糸乱れぬ完璧なアンサンブルを要求することに終始する.わずかでも音程が乱れようものなら,未熟な学生を泣くまで罵倒,退学を勧告して教室から追放する.

 入学直後にその場面に居合わせるニーマンは衝撃を隠せないが,自分もまたフレッチャーにドラムのビートとリズムを覆され,怒声を浴びせられ顔面に椅子が投げつけられる.原題"Whiplash"(鞭で打つ)は悪影響,損害を与えるという意味もあり,フレッチャーとニーマンの関係は,紆余曲折あっての師弟愛にも徹底して無縁.しかし,両者が共有しているものがあるとすれば,狂信的なジャズ・プレイヤーとなるため,ファウスト的に魂を売り渡さなければならないなら,躊躇しないこと.悪魔学・俗信・オカルト全般を集めたコラン・ド・プランシー(J. Collin de Plancy)の『地獄の辞典』メフィストフェレスの項には,「冷淡な意地悪さ,涙を嘲笑う辛辣な笑い,人の苦痛を見るときの冷酷な喜びが特徴」「からかいによって美徳を非難し,才能ある人に侮辱を浴びせ,中傷という錆で栄光の輝きを腐食させる」とある.

 以前にフレッチャーの虐待に耐えかね退学処分となった才能ある学生は,パワハラ指導から精神を病み,自殺していた.伝説的存在になれる"通過儀礼"の途中で挫折した学生について――その生死すらも――,フレッチャーが心から反省することなどあり得ない.才能を見出しはするが,それを踏みつけ,潰し続けても枯れない者だけが開花を許される――この狂気の信念に屈しないことを表明するニーマンはといえば,ドラム大成の妨げになると思った途端,自分から口説き落とした恋人をあっさり捨て,息子をやや偏愛する父の他者肯定(good job)にもアレルギー反応を示すようになる.フレッチャーの屈折したサディズムにいつしか毒され,だがポスト争いや流血沙汰を乗り越えて盲従を拒絶することを学んだニーマンであったからこそ,ラスト9分19秒の挑発的セッションが可能になった――そうみるのは表面的理解.

 このセッションは,弟子から師への「反逆」であるが,両者の間で交わされる不敵な笑みは,同床異夢が破綻した後に訪れる不吉を予期させるのだ.面白いことに,この師弟対決で生み出されたパフォーマンス終了後,当然与えられるべき拍手喝采は完全にカットされ,スタッフロールへと移る.デミアン・チャゼル(Damien Chazelle)は高校時代,ジャズバンドでドラムを担当していたが,顧問の過酷な指導に根を上げ,ミュージシャンへの夢を断念したという.9分間のセッションに拍手喝采を与えていないことは,恐怖と強圧による音楽指導・音楽性は,「伝説的奏者を生み出す」という理由があったにせよ,正当化は容認できないというスタンスが感じられる.フレッチャーを誰が演じるかで,作品の出来栄えは大きく左右しただろう.J・K・シモンズ(J K Simmons)は,それまで主要な映画賞には無縁だったが,本作で軒並みノミネート,多数受賞した.文句なしの鬼教官の体現,その表現力に目を見張る.

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原題: WHIPLASH

監督: デイミアン・チャゼル

107分/アメリカ/2013年

© 2013 WHIPLASH, LLC.

▼『暗号攻防史』ルドルフ・キッペンハーン

暗号攻防史 (文春文庫)

 暗号の歴史は,秘密を守ろうとする人間と暴こうとする人間との,暗号作成者と解読者との,果てしなき攻防戦といえる.本書は古代ギリシャの昔からインターネット全盛の今日まで,その攻防の歴史を集大成したもの.なかでも世界史に大きな影響を与えた暗号と,それに関わった人々のドラマを描いたくだりは詳細で,かつ面白い――.

 号の組み合わせは複雑であればあるほど,解読されにくくなる代わりに管理にも負担がかかる.1947年のトランジスタの発明,1958年の集積回路の発明などによって,複雑怪奇な暗号がアルゴリズムでプロテクトされることも可能になった.いまや,天文学的数の素因数分解を必要とする暗号の上を行く,「量子暗号」に期待が高まって来ている.量子暗号は,ハイゼンベルグ不確定性原理が採用されていることで,量子の状態を測定(盗聴)すると,量子の状態が変化するため,傍受の痕跡が残る.この原理は,「意味不明な文字の羅列」を特定のコードで解読すれば読み取れる,という従来の暗号開発とは視点を異にしている.将来,安全性を定量的に保証する完璧な暗号技術が実用化されるのだろうか.

 暗号とは,本質的な情報を意図的に隠ぺいし,解析(復号)しなければその情報を読み取れなくする技術のことをいう.その方法の推移は,単純な「換字式」のものから複雑な「ヴィジュネル暗号」「アナグラム」そして,「エニグマ」のような機械式暗号装置の開発に移行し,さらにはコンピュータで暗号鍵をしらみつぶしに解析する時代に突入した.より正確・効率的に,情報を正しい受け手に伝えるための技術は,傍受する側にとっては,より迅速に・確実に読み取る解析法の確立を迫られた.その繰り返しが歴史を重ねてきたことを,本書は豊富な事例と史的観点から,攻防してきたことを示してくれる.国防の立場にある賢い者は,古代より通信手段の有効性と危険性を熟知していた.それは同時に,効率的なものでなければならない.ユリウス・カエサル(Gaius Julius Caesar)は,単純にアルファベットを換字する方式の暗号を好んで用い,実に1000年もの間,実用され続けた.これは,平文と暗号文を対応させて順序を入れ替えれば解読できるという古典的なものだった.英語であれば,最も頻度が高いアルファベットは"e"である.カエサル暗号の技術では,たとえば"k"の頻度が最も高ければ,それは平文の"e"を示す.この点に気づいたアラビアの解読者たちが,カエサル暗号を破った.

 16世紀のイングランド最高の暗号解読者トマス・フェリペス(Thomas Phelippes)は,エリザベス女王の暗殺と反乱を企てたとして,スコットランド女王であったメアリー(Mary, Queen of Scots)を処刑に追い込んだ.反エリザベス女王派であったアンソニー・バビントン(Anthony Babington)の陰謀に,メアリーが関与していることを23個のアルファベット,及び36個の語句を記号に変換した暗号をフェリペスは頻度分析により解読したのである.暗号学(クリプトロジー)は隠語の学問である.ギリシャ語のクリプト(隠れる)とグラフェン(記す)を語源とする暗号学は,カエサル暗号が破られた後,本来の姿を潜める「コード・システム」を模索し始めた.ヌル(冗字)といわれる無意味な文字を入れ,解読を撹乱する方法,同時にフランスのブレーズ・ド・ヴィジュネル(Blaise de Vigenere)が考案した多表式換字式と呼ばれる,複数のアルファベットを組み合わせるものが登場したが,周期性のあるコードを用いていたためこれも頻度分析に屈した.

 サイモン・シン(Simon Lehna Singh)が『暗号解読』で強調したように,暗号は軍事機密やインテリジェンスの領域で,熾烈な争いにより肥大し発展してきた.20世紀に入り,知の軍拡競争の寵児となったのが,第一次大戦期のドイツで10万台も稼働していたという「エニグマ("謎")」.ローターと呼ばれる回転盤が換字を行う暗号装置は,3つのローターを組み合わせれば1京を超えるパターンを生みだすことができた.50000000000000000000分の1といわれたエニグマ解読の可能性は,ドイツ軍の安心と怠慢を招く.いかなる極秘情報も,軍はエニグマを介して伝達することとしていた.だが,イギリスのアラン・チューリングAlan Mathison Turing)らの暗号解読機"the bombe"によって難攻不落のエニグマを落とし,その有益なインテリジェンスは「ウルトラ」と呼ばれた.ヨーロッパ全土を蹂躙していたドイツの指揮系統はイギリスに筒抜けとなり,ノルマンディー上陸作戦を阻むことはできなかった.

 本書は,このエニグマが破られるまでのドラマを,3人の若き数学者の試行錯誤,チューリングの悲劇的な最期,ドイツのエニグマと同様に暗号の黄金期を築いた日本のパープル,アメリカのハゲリン暗号機も解読されていたことを懇切に描写する.筆者ルドルフ・キッペンハーン(Rudolf Kippenhahn)は1926年に生まれ,数学と物理学,天文学を学びゲッチンゲン大学教授,マックス・プランク学術協会点天体物理学研究所長を経て,退官後は著作活動に専念している.1970年代から暗号の研究に取りつかれているが,人間と科学の歴史を,暗号の発展と攻防が明らかにしているという視点でのみ,歴史を取り上げる意義としているようである.

 情報の産業革命になぞらえられる現在の情報社会で,さらなる強力な暗号の実用化が図られる一方,ヨーロッパ議会でエシュロン問題が取り上げられ,政府機関があらゆる通信の傍受と解析がなされていく時代に突入した.マスタードガスが初めて使用された第1次大戦は「化学者の戦争」,原子爆弾が実用された第2次大戦は「物理学者の戦争」,第3次大戦が起きるとすれば,「数学者の戦争」になるだろうと予測されている.素因数分解を一定向関数とする「RSA公開鍵暗号方式」は,事実上の最高峰な暗号システムとされ,量子暗号はさらにその上を行く.量子力学はやすやすとRSA方式を打ち破り,いずれその強固さを逆に応用した暴き方を技術化する勢力が現れるだろう.数学と情報解析,量子力学といった学問とテクノロジーは,古代から未来へと累をなす人間の歴史と,「知られてはならない」側と「情報をつかまなくてはならない」側の鬩ぎあいが,あざなえる縄のように連綿と続いていく証左なのだ.

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Title: VERSCHLÜ SSELTE BOTSCHAFTEN

Author: Rudolf Kippenhahn

ISBN: 4167651025

© 2001 文藝春秋

▼『キュクロプスの窓』小町谷朝生,小町谷尚子

キュクロプスの窓―色と形はどう見えるか

 キュクロプスとはギリシア神話にでてくる一つ眼の怪物である.人間は左右の眼で別々にとらえた情報を脳の働きによって一体化し,キュクロプスのように一つの外界像を見ている.そこには必然的に歪みが含まれ,それが色彩や形態の認知のうえに現れてくる.本書は,この双眼一視というかたちをもつ私たちの視覚作用の驚異を,多くの図版を通して説明しながら,読者を視覚世界の裏面に展開される不思議世界に案内する――.

 ギリシア三大悲劇詩人の一,エウリピデス(Ευριπίδης)の戯曲に,シシリー島の怪物キュクロプスは登場する.キュクロプスの眼は1つで,人間は双眼一視.眼球の数は違えど,両者の脳内で形成される物体イメージは同一となる.

 左右の眼でとらえられた情報は,イリュージョナルな知覚となって視覚世界のディストーションを包摂している.本書は,視覚像と視覚作用の類型,空間と形態,色彩,非定位の視世界などの説明と検証を行う.色彩学は,白色光がプリズム混合色であるとしたアイザック・ニュートン(Isaac Newton)の色とスペクトルの言及に遡るが,本書は図学,デザイン学も視野に収める.

 本書は色彩論の試みだけでなく,ヘルマン・ヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz)による「三色原色の実証」,透視遠近法の実践や歪像(アナモルフォーゼ)の実際に至るまで,人間の視覚作用に対する生態的アプローチを丁寧に解説している.視覚学と色彩学の基礎理解に資する好著.

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原題: キュクロプスの窓―色と形はどう見えるか

著者: 小町谷朝生, 小町谷尚子

ISBN: 4889220763

© 1989 日本出版サービス