■「白い巨塔」山本薩夫

白い巨塔 [DVD]

 大阪・浪速大学医学部では,第一外科の東教授の定年を控え,後任教授には若きエリート助教授・財前五郎が有力視されていた.しかし,野心家で傲慢な財前を人間的に嫌う東教授が対立候補を擁立したため,教授選へ向け熾烈な裏工作合戦が始まる.そんな折,財前は,同期の里見助教授から依頼された患者・佐々木庸平の胃に癌を発見するが,里見の忠告を無視して断層撮影をせずに手術した結果,肺転移により死亡させてしまう….

 崎豊子の原作は,『サンデー毎日』1963年9月号から1965年6月号まで連載された.国立大学医学部の内幕,誤診裁判の実態について詳細な調査をもとに描かれたセンセーショナルな世界は,衝撃をもって世に迎えられた.権謀術数を駆使して教授選を勝ち抜き,浪速大学第一外科教授の座に就いた財前五郎は,先任の東教授の威光を振り払おうとした.その矢先,執刀した胃癌患者の誤診の疑いで遺族から告訴される.当初の原作は,一審における財前勝訴で物語を終わらせていた.しかし,高い実力を備えながら野心と虚栄心に満ちた財前に対し,医師の良心そのものとして描かれた第一内科里見助教授の「挫折」という結末に読者の不満は高まった.「納得がいかない.社会的責任を持った結末にすべき」との声を受けて,山崎は第二審に立ち向かう財前の病没までを「第二部」(続編)として追加した.「続・白い巨塔」は『サンデー毎日』1967年7月から1968年6月まで連載されている.本作は,浪速大学第一外科次期教授選を前半部,胃癌患者誤診裁判を後半部に置き,原作の第一部をほぼ忠実に描いている.原作の全体像は,1978年から1979年にフジTV系で放映されたドラマ版(全31回)で映像化されているが,作品に脈打つリアリズムは第一部(正編)にこそ凝縮されている.

 原作の迫真性を損なわずに映像化された本作は,山本薩夫の骨太な演出,緻密にしてダイナミズムに溢れる橋本忍の脚本,浪速大学第一外科次期教授選と誤診裁判の制御のため,魑魅魍魎の如くうごめく医学界の権威者を演じた希代の名優たち――重厚な原作を映画のフォーマットに載せるという絶対条件を,驚くべき水準で総合的に満たしている.とりわけ,医学界の腐敗を告発する原作の趣旨を尊重した脚本が群を抜いて秀逸.医学界の重鎮が原作では数名登場するが,洛北大学唐木名誉教授,東都大学船尾教授の存在感が他を圧倒する.教授選で東教授の依頼を受け財前排除を主導したのは船尾教授だが,財前派が野坂(葛西)派を買収したことで,意に反して財前の教授昇格を許してしまった.一方,誤診裁判で重要鑑定証人として法廷に召喚されるのは,原作では唐木名誉教授であった.ところが,映画ではその役割も船尾教授が担っている.この変更は大胆な脚色であるとともに,医学界の陰湿で閉鎖的な防衛機構を示す上で効果的であった.すなわち前半の教授選において,船尾教授は財前の執念に譲歩を余儀なくされ,面子を潰されている.しかし後半では誤診訴訟の鑑定人として,「医学の現代的水準に照らし合わせるならば,財前教授の診断は誤診であるか否かを問わず,本件患者の致命的な病変の発見は不可能であった」と述べ,基礎病理学の観点から執刀者の責任を問う臨床所見を証言した浪速大学大河内教授の見解と対立せずに,財前を擁護する弁を展開した.その直後,船尾教授は「優秀な外科技術をもつ自身の腕を恃み,医師としての“良心”“慎重さ”を欠く」として財前の怠慢を厳しく糾弾し,その上で財前を「さらなる研鑽を積むならば,その卓越した技術をもって名誉ある浪速大学第一外科教授になりうるであろう」と総括するのである.

 第一に治療を目的とし,第二に医学上認められた手段および方法であり,第三に患者,保護者,代理人などの承諾を得て行われた診療過程に過失の発見されない限り,患者の死という不幸な結果が起きても医療行為の不当性はなく,したがって本件では財前医師の法的責任は問われない――船尾教授の周到な論理の上では,裁判の争点であった医学的判断の妥当性及び医師の「過失」の有無という問題が,法令による正当業務行為に相当する範囲内での「注意・勧告」レベルの道義的問題へと転嫁されている.船尾教授の鑑定により,今回の誤診は一医師の「個人的課題」を露呈した事例という性格が決定的に与えられ,国立大学医学部全体に及ぶ「医学界の構造」に対する疑惑と批判は回避された.老獪な船尾教授(滝沢修)の圧倒的な存在感と威厳は,白き牙城=医学界を牛耳る権威そのもの.その格調高く耳朶を打つ答弁は,寸分の乱れもなく固唾を呑ませる.財前役の田宮二郎は,本作で出会った「財前五郎」に同化するほど役に没頭し,TV版の最終回で財前が死去したことと符号させるように,放映終了を待たずに猟銃自殺を遂げた.田宮の本名は,柴田“吾郎”であった.

 本作で田宮は不世出の当り役に恵まれたといえるが,精神的に不安定な時期と一致したこともあり,役に魅入られた印象が拭えない.財前の年齢は39歳という設定であったが,1966年当時の田宮の実年齢は31歳.だが未熟さを感じさせぬ威風堂々,教授昇格後は口髭をたくわえ,下腹部に肉襦袢を仕込ませて貫禄を出す役作りを怠らなかったという.脚本の橋本は,大阪大学医学部がモデルとされる原作の雰囲気を伝えるため大阪弁の台詞回しを重視し,「一字一句直すべからず」と監督に注文していた.ざっくばらんな大阪人気質が,外部の人間には容赦ない物言いで攻撃の矛先を向け,逆に腹を割るべき場面では擦り寄っていく.利害関係にもとづく排他・結託・懐柔の模様は,独特な方言の全面的採用によって,脚本のストーリーテリングと合致し演出リアリズムに貢献している.大学病院すなわち高度専門医療機関という組織が本質的に抱える“病巣”を射程に収め,抉り取る社会派映画として,本作は古今随一の風格を誇る.製作の年代は旧いが,根深い社会病理の不治という命題は,決して風化することはないといえるであろう.

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原題: 白い巨塔

監督: 山本薩夫

150分/日本/1966年

© 1966 角川映画

■「竹取物語」市川崑

竹取物語 [東宝DVD名作セレクション]

 「かぐや姫」の物語をもとに,かぐや姫の誕生から月の世界へ戻っていくまでをロマンスと特撮をたっぷり織り交ぜて描く.市川崑監督の一大ファンタジー巨編.貧しい竹取の老夫婦の近所に謎の物体が墜落した.二人はそこで謎の石の中に入っていた赤ん坊を拾う.二人の子として育てられた娘は評判となり,彼女に求婚をする公家が3人現れる.彼女は3人それぞれに古くから伝わる幻の秘宝を持ってくるよう条件をつけるが….

 本の物語文学の至宝『竹取物語』は,その起源からして謎めいた作品の一つである.平安時代初期に成立したと考えられ,その作者は不詳.しかし,その不明瞭な起源が日本文学の礎となり,後世の文学に深い影響を与えたことは疑いようがない.紫式部が「物語の祖」と称したこの作品は,異常な生長力を持つ竹から生まれたかぐや姫を通して,不思議な神通力と政治的風刺を組み合わせたものだった.『竹取物語』の成立時期は,通説では平安時代前期の貞観年間から延喜年間にかけての890年代後半とされている.

 作者や執筆の背景については依然として謎が多い.歴史的文脈や他の文学作品からの影響をうかがわせる要素が多く含まれており,それが成立の謎を深めている.映像化の興味深いアプローチとして,特撮監督円谷英二は,1970年に亡くなる前に『竹取物語』の映像化を熱望しており,その映画化においてはSF要素が導入されることが期待された.しかし,その映像化の試みは難航し,特に宇宙船パートの撮影は多くのリテイクを必要とした.田中友幸(当時の東宝映画社長)の理想は,アメリカ映画「未知との遭遇」(1977)風の作品であり,そのためには視覚的な演出が重視された.

 本作の宇宙船デザインに関しては,「未知との遭遇」のマザーシップ型UFOに類似しつつも,独自の要素が取り入れられた.ロータス(蓮の花)をモチーフにした仏具のような造形と1万本の光ファイバーによる電飾は,視覚的な魅力を斬新に高め,人外のかぐや姫の存在感と異質性を引き立てた.映像化におけるSF要素の導入は,一部の批評家からはユニークなアプローチとして評価される一方で,原作の持つ神秘性や古典的な美風を損なった側面も否定できない.和歌や四季の描写など,原作の独自の魅力はほとんど省略されている.一方で,この映画化の試みは『竹取物語』が持つ普遍的なテーマに新たな解釈をもたらす可能性も秘めている.

「生を受けたものが消えていくというのに何の不思議があろう」

「夢を見ているのでしょうか この世にあることのない幻を見ているのでしょうか」

「そうではない 人間はまだまだ知らない途方もないものがあることを知らねばならないのだ」

 かぐや姫異世界に帰る最後の場面での対話は,人間のあり方や未知の探求への意味深いメッセージを伝えている.このような要素が,古典の魅力を新たな視点から再評価する契機となるかもしれない.『竹取物語』の映像化におけるSF要素の導入は,古典と現代の融合を試みる興味深い試みである.しかし,その過程で原作の持つ神秘性や美しさを損なうことなく,新たな解釈を加えることが重要である.映像化の試みは,古典の魅力を新たな世代に伝える可能性を秘めているが,その過程で原作の本質を見失わないように創意工夫が求められるだろう.

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原題: 竹取物語

監督: 市川崑

121分/日本/1987年

© 1987 東宝映画=フジテレビ

▼『阿片』ジャン・コクトー

阿片: 或る解毒治療の日記 (角川文庫 リバイバル・コレクション K 9)

 詩人であり劇作家,またある時は映画監督.本書は,虚と真実を自由に横断したマルチ・タレント,ジャン・コクトーが,愛弟子ラディゲの死による孤独のため陥った阿片中毒の解毒治療中に綴ったデッサンとノートによる――.

 片を制するものは支那を制す,とされ莫大な闇利権を背景に,共同通信電通の母体を有力メディア化し,満州建国に影響力をもった里見甫は,阿片で得た利益の2分の1を蒋介石(国民党),4分の1を南京政府――日本の傀儡政権――,4分の1の内訳8割を日本軍部,残り2割を自身の経費として懐に収めていた.これは阿片の社会的用具性の例.あるいは趙学敏『本草綱目拾遺』が阿片による肉体的,道徳的荒廃を説明した文献であるなら,ジャン・コクトーJean Cocteau)は,錯乱に陥る中でシュールレアリスムを縦横に謳歌するのに阿片の力を借りた.

阿片が,すべてを滅茶々々にして,喫む者を見棄てることはよくある.阿片は,生きていて,気ままで忽ちにして喫む者に矛を向けることもする分析しても解らない物質だ.阿片は病的に鋭敏な晴雨計だ.湿気の多いお天気の日は,パイプが漏る.海辺へ行くと,阿片は膨らんで,燃えなくなる.雪や,雷雨や,北風が近い時には,利かなくなる.或る種のおしゃべりが席にいたりすると,まるでその効力を失ってしまう

 散文調の滅裂な記述.ハイテンションで描かれたと思しき独特のデッサン.文とデッサンの構成は,1913-1919年の『ポトマック』で一応の完成をみせていた.だが愛弟子レイモン・ラディゲ(Raymond Radiguet)の死後,1924年からコクトーは阿片に親しむようになったから,その陶酔がアフォリズムを加速したのだろう.本書の文とイラストは,1928年12月16日から1929年4月まで,コクトーがサン=クルー療養院入院中に書かれた.

阿片は精神を晴れやかにする.然し決して機智的にはしない.阿片は精神を延べひろげる.然し決して尖らせはしない

 解毒治療に努め,本書が医学文献と既存の阿片文献の間に位置することを求めたコクトーは,ここで阿片の害毒に屈した自分を認めるのではなく,詩的源泉の効用を讃える.本書は,阿片の恍惚と禁断症状を克明に語った内観的記録.その諸味のソースは,薬物リハビリにはまったく用を為さない.選れた詩人は,迷妄たる状況からも活眼を開く糧を拾い出してくる.その事実の特異性に,一般人はなかなか気づくことが難しいからである.

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Title: L'OPIUM

Author: Jean Cocteau

ISBN: 9784042047025

© 1998 角川書店

▼『大いなる遺産』チャールズ・ディケンズ

大いなる遺産(上) (新潮文庫)

 貧しい鍛冶屋のジョーに養われて育った少年ピップは,クリスマス・イヴの晩,寂しい墓地で脱獄囚の男と出会う.脅されて足枷を切るヤスリと食物を家から盗んで与えるピップ.その恐ろしい記憶は彼の脳裏からいつまでも消えなかった.ある日彼は,謎の人物から莫大な遺産を相続することになりロンドンへ赴く.優しかったジョーの記憶も,いつか過去のものとなっていくが――.

 働者階級と貴族階級の対立ではなく,貴族に背丈を合わせようとするスノビズムの悲哀が扱われる.貧しい鍛冶屋ジョーの養子となった少年ピップは,富豪の老婆ミス・ハビシャムの養女エステラに,否応なく惹きつけられる.高慢にして冷酷なエステラは,ピップを翻弄した.しかしエステラの美しさは,貧しい出自であるピップの羞恥心を刺激しながら,彼女に見合う「紳士」に昇格して結ばれたい,と強烈な欲望を喚起する.卑下すべきは,鍛冶屋や靴屋といった労働者階級の浅ましさ.転がり込む謎の莫大な「遺産」によって,ロンドンで紳士的嗜みを身につけたピップが,養父ジョーに対し忘恩の徒と成り果てるのは,彼なりに整合性の取れた行為となる.

 たとえば友人ハーバートと密な友情を結び,エステラへの愛をピップが希求し続けるのは,彼自身がきわめて人間的な感性の持ち主であるからに他ならない.スノビズムに毒された人間のヒューマニティの緊張関係が,本書の主題である.イギリスにおける新救貧法体制を憎み,大人の付属物としか看做されていなかった存在「児童」の目を通じて,チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens)は多くの作品を著した.12歳で実家が破産(父の濫費による),靴墨工場で過酷な労働に従事することになったディケンズは,虐待に等しい仕打ちで心身を疲弊させた.マーシャルシー債務者監獄に収監されていた父が釈放されたのは,ディケンズの祖母方の遺産によってであった.

 ヴィクトリア朝の代表作家と評される成功を収めても,数奇な運命を楽天的に,また強靭な生命力で切り拓く人物を描き続けた.小説には,自伝的要素の強い『オリバー・ツイスト』『デイヴィッド・コパフィールド』など,狂気の所業をとる「大人」と,幼少期の苦難を克服する「子ども」を対照的に布置したパターンが多い.本書はさらに,ピップとエステラに各社会階級の申し子の位置づけを与え,無慈悲で冷血なエステラにはない「財産」をピップが持ち合わせていることを浮き彫りにしていく.若かりし頃,恋に手酷く破れたハビシャムは,男性全般を憎み,復讐のため,美貌の少女エステラを引き取り男性を籠絡する存在に仕立て上げる.

 成長したエステラから冷たく拒絶され,ハビシャムは狼狽する.それは,人格形成の重要な時期に,仁慈や憐憫を否定する価値観を植えつけた結果であった.一方,ピップに巨額の遺産を相続した人物は,幼いピップに恐怖と羨望を体感させ,成長とともにピップに新世界を開いた者だった.奇しくも,エステラの後見人ハビシャムと同様に,ピップにも後見人がいたことが明らかになるのである.運命が流転するなかで,確たる「財産」「遺産」が手中に残るとすれば,おそらくそれは唯物の存在ではない.精神の実在が何を基盤とし,支柱とするかを,遠大で詳細な人間描写が重層的に奏でる.楽天的な結末を多くの作品で示したディケンズだが,本書では苦く切実な余韻を与えるものである.

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Title: GREAT EXPECTATIONS

Author: Charles Dickens

ISBN: 9784102030011, 9784102030028

© 1997 新潮社

▼『「塩」の世界史』マーク・カーランスキー

「塩」の世界史: 歴史を動かした、小さな粒

 塩は,人間の生存と生活に,欠くべからざる物質である.そして,人間の歴史は,塩をめぐって大きく展開してきた.科学技術,土木工学,税制や社会体制,そして宗教や料理といった文化も,塩によって発達した.ときには,部族間・国家間の対立や戦争も引き起こしてきた.本書は,「塩」をカギに,人間と文明を説き起こした驚異の歴史書である.世界的ノンフィクション作家が,膨大な調査をもとに完成した,知的刺激に満ちた1冊――.

 体には約250グラムの塩化ナトリウムが含まれる.体内で合成できないナトリウムは,消化と発汗,神経インパルスの伝達や内臓の筋肉稼働にも必須.中国では,塩の採掘で土木技術が発達.塩への課税が闘争を生んだ.ローマ帝国では,塩は民主制・人民の権利の象徴となった.タラの塩漬けはヨーロッパを席巻し,交易を爆発的に促進させた.アメリカ独立戦争中,英国は海上を封鎖し,塩の入国を阻止した.

 インド独立運動は,塩をめぐる争いからはじまったという.ローマ人はケルト人の製塩所を強奪し,アダム・スミス(Adam Smith)は,塩が商取引の通貨として用いられたアビシニアを紹介した.あるいは,塩は神とイスラエル民の契約で「永遠性」の象徴とされたのである.人体に対する恩恵が「無意識化」されるほどに,塩の浸透圧は高い.日本における塩の用途は,食品加工用が10数パーセントであるのに対し,一般工業・ソーダ工業加工で90パーセント近い.

 兵士に対する塩の支給が「サラリーマン」の語源であることを考えると,製塩量の格差が軍事力の差に結びついたアメリ南北戦争,塩とスパイスの交易で地中海貿易を制したヴェネツィアの産業力などは,もはや過去のスキームで評価されるしかない観がある.今や戦略物資化と獲得競争の面で,塩は石油と天然ガスに及ばない.しかし,塩が外交,地政学の上で古今東西の王道と詭道を演出してきた物質という事実に変わりはないのである.

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Title: SALT

Author: Mark Kurlansky

ISBN: 459405076x

© 2005 扶桑社